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西区の東北部一帯は、北区の中之島とともに、江戸時代には河川を利用した交通の便がよかったため、諸藩の蔵屋敷が集中したところである。薩摩鹿児島藩(島津氏・77万石)の蔵屋敷は、土佐堀2丁目(上屋敷)にあったが、このほか掛屋敷が江戸堀(中屋敷)と立売堀(下屋敷)にあった。薩摩堀川を開削した薩摩屋仁兵衛は、代々天満組惣年寄を勤めるとともに、この薩摩蔵屋敷に付属して、国産取引きの薩摩定問屋の一人として活躍した。明治元年(1868)正月、鳥羽伏見の戦いに際して、3屋敷とも幕府から引渡しを要求され、これを拒絶したため陸奥会津藩兵が攻撃してくることを聞き、みずからの手で焼いた。蔵屋敷の跡は大阪市顕彰史跡に指定され、昭和48年3月「薩摩藩蔵屋敷跡」の石碑が建てられた。
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