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安治川と木津川は、ともに船の運航のため架橋困難な川であったが、明治6年安治川に中央の床が船の通るとき回転する旋廻式可動橋、一名磁石橋が、木津川には船の通行時に床が跳ね上がる跳開式可動橋が架けられた。しかしこの両橋は明治18年の大洪水のとき崩壊した。明治30年には、もと西九条側で私設の渡しを行っていた源兵衛という人が、九条新道の西端に渡しをつくった。「安治川の源兵衛渡し」と呼ばれ、両岸の商人に大いに喜ばれた。このころ安治川には、現西区内に7カ所の渡しがあったが、源兵衛渡しはもっとも利用者が多く、西九条の人々が楽に九条へ来ることができるようになり、九条発展の一因となった。
昭和にはいって市中の車両は増すばかりであったため、同10年には安治川隧道が計画され、同19年9月15日、俗にいう安治川トンネルが完成した。両岸とも歩行者用・車両用のエレベーターで約17メートルの河底に降り、河底を通過して対岸で地上に出るもので、大阪の一名物となった。昭和48年の調査では、1日に歩行者5300人、自転車1600台、自動車1100台を数えたが、その後も車両の増加は急激で、在来のエレベータでは間に合わず、ついに52年2月20日にはこの名物も姿を消し、エレベーターを利用せず直接車が抜けられるよう、工事計画がある。
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