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もとの九条島(衢攘島)はデルタ地帯で、たび重なる淀川洪水のため、被害の絶え間がなかった。そこで貞享元年(1684)2月、幕府は治水の専門家である河村瑞賢に命じ、九条島を掘り割り、淀川の水を一直線に大阪湾へみちびくこととした。4年の歳月を費やして、貞享4年に開削されたのが安治川である。はじめは新川と呼ばれたが、元禄11年(1698)この地が安らかに治まるようにとの願いをこめて、安治川と改名された。氾濫する淀川の水を直接海に導入するバイパス的存在である。この川の完成によって、同じく西成郡九条村であった一部が分かれて、現在の西九条になった。河村瑞賢の紀功碑は、大正4年8月に国津橋に建てられた。
安治川が開削時に新川と呼ばれたのに対し、もとからあった川は古川と呼ぶようになった。この川は昭和27年11月、大阪府の防潮堤工事にともない埋立てられ、元の古川西端国津橋の地に、河村瑞賢紀功碑と並んで、昭和34年1月大阪府によって「古川跡」の碑が建てられた。
なお、安治川寄りに勝光寺(九条3−18)がある。創建は寛永元年(1624)と伝え、当時の所在位置はよくわからないが、60年後の安治川開削にかかり移転し、次いで再び市岡新田への用水路に引っかかり、文化8年(1848)現在地に移った。太平洋戦争中の戦災をまぬかれ、江戸時代後期の建物を今に残している。
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