『摂津名所図会』に、「むかし加島鍛冶千軒とて加島一村ことごとく鍛冶屋なり。今僅かに一両軒のみ」とある加島は、いまの淀川区内であるが、この加島に代わって鍛冶屋が集中し、軽工業の盛んになったのは九条である。明治28年、福田左馬太郎が下境橋(本田三バス停右寄り)付近に某家の2階を借り、製図夜学校を開いてこの地に働く青年たちに西洋鍛冶の技術を教えた。これが九条の軽工業の発展に大いに役立った。ここで蛍雪の功を積み、後に郷土の発展につくした人が多かった。広島の東洋工業の創始者松田重次郎も、青年時代に当地で働きながら学んだ1人である。この製図夜学校は、現在大阪工業技術専門学校として北区にある。なお九条南西部はいま鉄材工業製品の町として全国的に有名である。

Presented by 大阪中部ライオンズクラブ