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大阪が「天下の台所」といわれた江戸時代の川口は、『摂津名所図会大成』に、「当津は晴天には朝に東風ありて出帆に便よく、暮には西風に変ずる故に入船に便よし。ここをもって日本一の大港とす」といわれた船着場で、幕府の官用地として船番所・船蔵や、船奉行をはじめ与力・同心などの屋敷があったところである。嘉永6年(1853)の米使来航をきっかけに、西欧諸国から鎖国を解くことを迫られたわが国は、諸外国への玄関として、明治元年7月15日この地を開港場とした。川口が大阪港として開港されたのである。しかしこの港は安治川上流に位置していたため、外国船は遠く天保山沖に仮泊し、小舟でこの間を往来しなければならず、とうてい世界海運に応対できる港ではなかった。外国船は神戸港を利用することが多くなり、外国人居留地はあっても貿易もあまり振るわず、せっかくの開港の成果もあがらなかった。明治5年からははやくも築港の計画がたてられたが、資金面で挫折することが数度、ようやく明治30年10月17日、天保山にて築港起工式が挙行された。しかし、川口は世界につながる今日の大阪港繁栄の端緒となったのであり、その後も中国・朝鮮などとの貿易で活躍した。
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