飯田家邸の跡
 飯田家の旧邸は、本田小学校の表門から南へ中央大通付近までの広大な地域で、木津川から水を引いた庭園は、東海道五十三次を模して造られたという。飯田家は苫屋と号し、代々久兵衛を襲名した。「天下の三久兵衛」といわれた海運業者で、幕府の許可をうけて航路網は一時南洋にまでおよんだが、鎖国のため家運は衰頽した。しかし直好(四代)は、家運復興に努め、当時幕府の御城米がもっぱら官船だけで輸送されるのは、航路の万全と運用の円滑を期し難いことに着眼し、民間船舶を随時利用すべきことを進言して、寛保2年(1742)に御城米廻船御用達差配を命ぜられ、その邸宅は御廻船御用所に指定された。直好は安治川浚渫の急を訴え、巨額の私財を投じて改修し、郷土大阪のために貢献した。墓は九島院内にある。

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