土佐稲荷神社
 土佐稲荷神社は、土佐高知藩蔵屋敷の鎮守社として、明和7年(1770)山城国伏見稲荷神社の分霊を勧請したと伝え、また古く天正年間(1573〜92)の創建で、享保2年(1717)土佐高知藩主山内豊隆が家臣に命じて社殿を造宮し、一般の参拝を許したともいう。慶応4年(1868)の堺事件のとき、フランス兵を斬った藩士箕浦猪之吉らは、明治政府がフランス公使ロッシュの要求をいれて20人の切腹を命じたため、この稲荷社前境内でクジを引き、20人の犠牲者を決め翌月堺の妙国寺へ護送されたという。境内は江戸時代から桜の名所として知られ、嘉永4年(1851)建立された其角の「明星や桜定めぬ山かつら」の句碑がある。社殿および桜の古木は、太平洋戦災中の空襲で焼失したが、社殿も復興し、戦後植えた桜の若木も成長して、夜桜の花見が復活した。なお境内には昭和32年西区遺族会が建立した「祈(戦没者慰霊塔)」の像と、42年10月「祈」像の10周年記念のとき建てられた石碑がある。

Presented by 大阪中部ライオンズクラブ