西長堀川と鰹座の跡
 長堀川は寛永2年(1625)に開削された運河で、東横堀川から分流して西に流れ、木津川に注いでいた。長さ22町22間半(約2441メートル)、幅は上流で25間(約45.3メートル)、下流で24間半(44.3メートル)あり、西横堀川以西は西長堀とも呼ばれていた。昭和45年に埋め立てられて姿を消したが、西横堀川以西の西区地域には、東から吉野屋橋・西長堀橋・宇和島橋・西大橋・富田屋橋・上白髪橋(後の問屋橋)・下白髪橋(後の白髪橋)・鰹座橋・新鰹座橋・新玉造橋・(後の玉造橋)・長堀高橋(後の高橋)・洲崎橋などが架けられていた。土佐高知藩の蔵屋敷は、鰹座橋とその西約80間(約144.8メートル)の玉造橋の中間、西長堀川両岸一帯を占めていた。鰹座橋はそのため土佐橋・土佐殿橋とも呼ばれたが、もともと右岸に土佐の国産である鰹節を売買する鰹座があったため、鰹座橋と名づけられたものである。なお、西区役所前には西区に現存する唯一の道標が建っている。旧西長堀川両岸は江戸時代以来の材木問屋街でもある。

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