間長涯天文観測の地
 間長涯は、江戸中期の暦学者・天文学者である。名は重富・宇は大業、家は代々長堀の十一屋という質屋で、通称を五郎兵衛といった。麻田剛立から天文学を学び、寛政7年(1795)幕府の改暦にあたり、高橋東岡とともに師の剛立から推薦され、江戸に行って3年で寛政歴を完成させた。その功によって幕府から直参にとりたてられようとしたが、これを辞退して帰阪した。そのため、大坂に邸宅を与えられ、苦心研究の結果作りあげた観測機をもって、自宅前の富田屋橋で天体を観測したときには、市民の通行をとめられたという。観測機や技術は、のち伊能忠敬に伝えられ、日本地図作成に大いに役立った。「間長涯天文観測の地」の碑は、昭和35年大阪市によって長堀川のほとりに建てられたが、長堀川の埋め立てによりグリーンプラザ内に移された。

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