薩摩堀川跡
 薩摩堀川は薩摩屋仁兵衛が寛永5年(1628)に起工し、同7年に完成した堀川で、はじめ阿波座新堀といい、のちに薩摩堀川と呼ばれるようになった。開削者薩摩屋仁兵衛の名(屋号)が川名になっとも、薩摩(鹿児島県)の商船がこの堀川を利用し、多くの物産を運送したため薩摩堀川と改められたともいうが、阿波堀川から分流して願慶寺(後の広教寺)の東側を流れ、いまの薩摩堀北公園のやや西の地点で西北に折れまがり、百間堀川に流入していたので願慶寺堀とも呼ばれた。開削時には長さ7町41間半(約838.7メートル)、幅14間(約25.3メートル)であったが、のち明和4年(1767)に川幅8間(約14.5メートル)になった。昭和26年6月に埋め立てられ、昭和36年3月に大阪市により「薩摩堀川跡」の碑が建てられたが、埋め立て前には鳴門橋のほか、薩摩橋・広教橋・中筋橋・島津橋・江東橋が架かっていた。

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