阿波堀川跡
 阿波堀川は阿波座堀川とも呼ばれ、西区にあった堀川(運河)の中ではもっとも古く、慶長5年(1600)に開削され、西横堀川から分流して西に流れ、百間堀川に流入していた。最初は長さ627間半(約1136メートル)、幅は上流で10間(約18.1メートル)、下流で15間(約27.2メートル)であったが、明和4年(1767)に両岸を埋め立て、8間(約14.5メートル)になった。昭和31年9月、大阪府の防潮堤工事などのため全部埋め立てられたが、それ以前には阿波堀橋・靱橋・花屋橋・奈良屋橋・太郎助橋・松栄橋・岡崎橋・豊橋の八橋が架かっていた。「阿波堀川跡」の碑は、昭和34年1月大阪府が建立したものである。なお、この川の上流南側の一帯は、江戸時代には奈良屋町と称したが、別に解船町とも呼ばれた。ここには解体した船舶の古材を利用して種々の器物を作る家が多く、また川岸には解体した古板が立てられ、『摂津名所図会大成』には「恰も高峰山 に髣髴たり」と記されているが、雪の朝には唐画の山水に似た勝景となったので、風流人や画師などが眺望を賞したという。

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