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明治4年7月の廃藩置県、同年11月の地方府県大改革により、大阪府の管地は大阪市街地の4区(東・西・南・北)、および摂津の島上・島下・豊島・西成・東成・住吉・能勢7郡となった。当時の府庁は東横堀にあったが、建物は狭く政府の中心としては不適当であったため、翌5年、大阪府は官民共同の費用をもって江之子島に新庁舎を建てることにし、ただちに着工した。新しい府庁の所在地として江之子島が選ばれたのは、この地が川口居留地に近く、西欧の文物・制度を移入するに好適であったことと、大阪は将来西に向かって発展すると予想されたためであったという。新庁舎は明治7年7月はじめに完成し、8日から6日間にわたって一般の参観をゆるしたが、正面玄関に4本の大円柱をならべ、屋上中央のドームに大時計をとりつけた西洋館の庁舎は、たちまち大阪の新名所となり、府民は「江之子島政府」と呼んだ。造幣寮の英人技師ウォルトスの設計で、泉布観(重要文化財)につぐ大阪の本格的な西洋建築であった。大正15年11月、府庁は東区の現庁舎に移転したが、その間半世紀にわたって、大阪府政はこの庁舎を中心に推進された。跡地には大阪府立産業技術総合研究所が建てられているが、その前庭には大阪市青年連合団が建立した「明治天皇聖躅旧大阪府庁」の石碑がある。
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